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勿忘石@西表島

イリオモテヤマネコで有名な西表島に、勿忘石という碑があります。忘れな石、と読みます。

昨年2014年に西表島を旅行で訪れた際にガイドブックを見ていて発見し、ここへ行けるだろうか…?
と宿の方にきいたところ、間髪おかずにこの碑に詳しい方に連絡してくださいました。

西表島は八重山諸島の中では面積が広い島です。独力で行くにはレンタカーなど使わなければならないとのこと…

なんとなく惹かれるものがあり詳細を尋ねていたら、ありがたいことに案内してくださることになり、訪れる事が出来ました。

この勿忘石がある場所は島の南端に位置する南風見田という所です。案内をしてくださった方は、勿忘石之碑保存会の平田一雄会長です。

勿忘石は、西表島からさらに南にある波照間島で校長を務めていた識名信升によってその名が刻まれた石です。

1945年の太平洋戦争の終わりにまつわるある事実を忘れてはならないという意味なのだそうです。(識名へのききとりによる)

波照間島住民に起こった出来事について平田会長はていねいに話してくださいました。そこでうかがったお話については記録として残しておらず細部があいまいですので、次のHPを参考にして簡単にまとめます。

  • 当時を振り返って識名は、“この場所で勉強した生徒から死者が出たことに対する追悼と、強制疎開により死者が出たという事実を決して忘れてはならないという思いから、「波照間住民よ、この石を忘れるなかれ」という意味を込め帰島前に刻んだものだ”と答えている
  • 西表島内の中でも水はけの良くない場所では、マラリアを媒介するハマダラカという蚊が発生していました。十分な食料がなかった当時、罹患者のうち死者も多数出ました。
  • 戦後、波照間島へ帰島後も引き続きマラリアが原因で命を落とす住民がいました。最終的にはマラリア罹患によって、488人が亡くなりました。これは西表島への疎開時の島民数の3分の1以上になります。
勿忘石@西表島